買ってはいけないもの

投資信託、信用取引とか。預貯金のわずかな利息には文句を言うわりに、「投資は損するからやだ」とか「手を出すものでない」と言う。損失が出るかもしれないリスクを背負ってカネを殖やすのが投資で、やったこともないのに文句だけ言う。
会社が雇用と収入を確保してくれないことがハッキリして、国の年金まで崩壊したのに、自分から話を振っておいて、自分で金を運用する話になると耳を塞いでしまう思考回路は理解に苦しむ。投資はパチンコ・競馬と同じレベルのギャンブルと思っている一方で、宝くじは「夢」を買うといって嬉々として購入する。宝くじは勉強しない人への税金と説明しても「自分で納得してるからいい」と耳を貸さない。宝くじが当たれば仕事やめる!と言いながら、毎日仕事に来る。「会社はやめないけど、給与収入より株の収入が多いよ」という人のほうが、仕事もできるし文句も言わない。
自分さえ良ければよいと思ってる割に、他人のやることに口を出してくる。仮に投資を始めるときも、自分で勉強せず人任せ。
損した話を見聞きすると「言わんこっちゃない」としたり顔。まして信用取引やレバレッジなんて、自分とは別世界の人間だけがする特殊な取引と信じ込んで、取引単位や金額も全く知らない。それなら「自分と無関係」と話もしなければいいのに、「あれはリスク高いよな」とぬかす。自分の住む世界では聞いた事のない証券会社の名前を出されると「聞いた事ない業者だな。危ないんじゃないか?」とご丁寧に忠告までしてくれる。
頼むから黙っといてくれ。

ホワイトカラー・エグゼンプション

働いても報われない、あるいは生活が改善しないワーキングプアは、年収400万程度なら目の前の問題になってきました。残業代を出さない、あるいは低いといわれるホワイトカラーの生産性を高める動きです。これを「避けて通れない」と割り切ると、真面目に仕事することを嘲笑しかねないので、まだ100%納得しがたいんですが、はっきりした反論もできません。

2007年問題

団塊の世代が大量退職する07年3月末に、労働人口が減る+若年層が少ない=日本が痩せ細る問題。当初は膨大な退職金が消費・投資に向かう期待もあったのに、団塊世代では65歳前後まで就業を希望する人が多くて、期待できなくなってきました。
「働く事が美徳」で過ごして来た世代の方だから、退職金をもらっても投資運用の知識が乏しく、投資を避けて預貯金口座に置いておく可能性もあります。
60歳を過ぎても望まれて仕事ができるなら幸せというけれど、定年後まで文句を言いながら働く姿は、気の毒。

地デジ

地元でも07年10月1日から地上デジタル放送開始。現行放送は2012年7月以降廃止。
この話をすると必ず後ろ向きな意見が出てきます
屁理屈をこねて反論するより、費用捻出を考えたほうが前向き。テレビ自体が斜陽メディアだから、それに金をかけたくない気持ちも分からんではないけれども、映りの悪いアナログ波放送を見るよりは、デジタル放送のほうが目にも優しくて良いと思うけど。

好景気

いざなき景気を越えた(といわれる)好景気が、実感がないとか政府やマスコミのまやかしと言われることがあります。
好景気がまやかしなら、少子高齢化から日本企業の好決算報告まで、全てウソでないと辻褄が合いません。
日本の国が信用できない/年金制度があてにならない/労働人口が減ってくる/政府は何も解決せずに税金だけ上げてくる・・・文句を言うのはいいが、対策を考えないと置いてきぼりにされるだけ。
最善で唯一の対策は、投資して給与以外の収入を確保したり、自分の退職金を運用すること。こう提案すると「すべてカネで解決しようとする風潮が気に入らない」と反論される。カネがなくて困る話をしてるのに、解決策にカネを持ち出すと、拒否反応をするのは筋が通らない。政治でカネを解決できる時代は終わっていると思っていないんだろうか。また、「仮に1億稼いだとしてどうする?金で買えないものだってあるだろう」とも言われるが、先に1億稼いでから考えた方が良い。金で買えないものはあるけれど、金がないと何も買えない。「金では買えない大事な何か」を手に入れたとしても、それを金なしで維持することはでないかと。

株をやらない理由

05年11月から投資を始めて半年以上が過ぎました。今の主な対象は外貨国為替証拠金取引です。もともと為替に興味があったこし、FXのやり方が“ある程度”わかってきたので、FXに軸足を移しました。株に興味がなかったワケではなく、北電株を少し買ったり、ツルハドラッグの株価等はチェックしてました。今でも株指数はチェックしてます。それでも、株にのめり込まなかった理由は
・取引時間が9時-15時に限定されている
・株を発行している企業が集中する関東・関西圏から遠方地にいる
・国内企業の情報開示が公平でなく、儲ける人はインサイダーぎりぎり
投資を始めて不思議に思ったのが、関係者がよく使う「外国人投資家の動向」。自国の株なのになぜ海外投資家の目を気にするのか?実際、外国人投資家は日本のファンダメンタルズや企業分析をして売買してると思うけど...
投資を始めてから感じた事では、株は為替に左右されるものの、為替が株に左右されることは少ないこと。どこぞのレポートにも「株は為替に片思い」と書いてあったとおりでした。あと、為替よりも株のほうがボラティリティが大きいことも、株に手を出さない理由。逆にいえば、資金が潤沢でウデがあれば、株のほうが儲かることも分かりました。

変と、まとも

この2つの違いを説明することは、ライフワークのひとつです。この話をすると「“まとも”て、誰が決めたことや?」と理解ある者になったつもりで、聞き返されることが多い。そこで、「でも“○○はまともなヤツや”という言い方をするから、どこかで基準を決めてんねん」と切り返すと、それ以上の返事や意見をくれた人は未だにいません。
こんなコラム(http://nikkeimoney.jp/column/ranma/060329.html)に、一つの例がありました。サイトが消えるかもしれないのでコピペしておくと、
>「普通」じゃないものを「変」と言ってしまうが、押し並べて通る価値観
>を「普通」というのであって、それと違う価値観に遭遇すると「変」とな
>る。通常「変」はいいイメージではない。だから、自分以外の人はみな宇
>宙人だと思えばいいと。
つまり、相手を理解しようという姿勢を持ってコミュニケーションをはかりなさい、という結論。かなりイイセンをいってるけど、「○○は具体的にいえないけど、どこか変わってるヤツなんだよな」といった具合に使うときの“変”の説明には物足りません。
「変」は、「日本人の付和雷同意識」程度では説明できません。多様な価値観と人種が混在してそうな米国でも同じ。映画でも「アイツ、変わってるだろ?」というセリフを聞くことは多々あります。
変 vs まとも(ふつう)を説明するのは難しいんです。こんなこと考えること自体、変わってると思われるのは百も承知だけど、グダグダ書けるホームページて素敵w
また引用ですが「かつては無理をして集団に馴染むことにも、それなりの意味がありました。しかし、現代では、意味なく群れることにストレスを感じる人も増えています。」なるほど。意味なく群れないと不安に思う人はまだ多いんですが、テレビのバラエティ番組をつまらないと言う人は増えてきました。

話は少しずれますが、テレビさえ見ておけば、なんとなく共通の話題が得られた時代が終わったので、「視聴率を追い求めるテレビ局は、誰もが共通に「酷い」と感じて叩けるような対象を、くどいほど追いかける」のでしょう。ニュースとバラエティの境目がなくなり、民放で報道番組といえるのは、2-3分のフラッシュニュースだけになりました。

パチンコ・サラ金・宝くじのテレビCM

北海道や東海地方でよく見るのが、パチンコのCM。ゴールデンタイムだろうとお構いなし。なぜ規制がかからないのか不思議だけど、北海道はパチンコの被害者は多い事で有名。関西ではほとんど見ません。
関西でも流れてるのがサラ金のCM。ゴールデンタイムでも流れてます。アルコールやタバコのCMよりも、パチンコとサラ金のCMは、即禁止すべき。ついでに“キャッシング”という聞こえの良い単語を廃止して、『サラ金』というイメージ通りの言葉の復活を。
宝くじは、パチンコよりもさらにリターンの低い胴元ぼったくりのシステム。数学的に見ても、株のほうが遥かにマシ。本来なら金融取引よりも厳しい法律を適用すべきで、テレビCMの全面禁止くらいが妥当。

中東緊張

イスラエルが自国兵士を拘束されたことに報復してヒズボラに攻撃。ベイルート空港を空爆して、レバノンを陸海空封鎖。
今の時代ならやり過ぎの感もあるけど、ミサイルを発射されて“攻撃の意思確認”すら時間をかけたあげく、国連経由でしか制裁できない我が国を情けなく思うし、すぐに軍事行動を起こせるイスラエルが羨ましくもある。もっとも、北チョンに軍事的制裁を課しても、日本も困るけど。

改革の揺り戻し

06年7月8日(?)の日経新聞に「国内で進めてきた改革が停滞気味で、官僚主体に戻そうという風潮が見える」という記事がありました。また、新国立劇場・芸術監督オペラのトーマス・ノヴァラツスキー氏が「日本の人は、本当に改革が嫌いなのだなと思った。」と講演してます。
最近、「最悪の時期を脱したから、改革はこの程度で切り上げて良い」という雰囲気を感じることが多くなりました。改革する立場にいる人はもちろん、普通の人もそう思ってる気がします。05年秋の衆院解散選挙で出された一つの区切りで、満足してしまった雰囲気が感じられます。自分の会社でいえば、さらに若い世代に「この組織にいれば大丈夫」という安心感が見られ、また土地柄、官への依存や絶大な信頼感があり(それがうまく行くときもあるが)、官僚を小馬鹿にして御上を良しとしない関西生まれとしては、嫌になってきました。分割民営化の異動で「今までと同じ仕事ができそう」な会社への希望が最多で、それ以外の会社への希望がほとんどない話を聞いて唖然としました。自分は今の組織には期待してないし、退職までしがみつく価値もないと思うし、年金も確定拠出型に切り替えてほしいくらい。定年まで勤めたとしても、給与収入だけでは路頭に迷わなくてすむ程度の生活しか送れません。起業することは選択肢にないので、転職は考えてます。と同時に、投資で自活できることを目指すことにしました。目標は8年後の2014年5月。それまでに転職するかもしれないし、8年後に仕事を辞めるかは別として、「辞めようと思えばいつでも辞められる」状態になることを目標にします。

違和感

連休も終わりかけの2006年5月7日。ブログ(http://blog.livedoor.jp/takahashikamekichi/archives/50847721.html)でこんなことを書いてる人がいました。
尤もな内容で、いつもながらのニュースを見てると何年も時間が止まっているような錯覚に陥るのも分かるし、多くの国民がマスコミ漬けの毎日を送っていて、内向きな近視眼の状態に陥っていることも間違いないと思います。
ブログに書いてあるように、資源や貴金属の価格をチェックしたり、国内での格差拡大が世界的には格差縮小(これも諸手を挙げては賛同しかねるけど)に繋がることを実感したとして、今後どうすれば良いのでしょう?

昨年から始めた投資は、自分の考え方に大きな影響を与えてくれました。国家破綻はありえないですが、日本円が信用できないことも事実。自衛策として外貨比率を高めてますが海外移住するワケでないので、消費する時に日本円に両替する必要があるから、結局は対策にならない気もしたり。
預貯金・保険・年金だけに頼れないことは皆が感づいてるけど、どうすれば良いのかが分からない状態。「時代がかわる」という違和感はあるけど、どうすれば良いのか方向感が見えない。

窓機購入

DELL機を買って使い始めたら、Macとの違和感がない。
窓版の FileMakerPro8 は予約したし、Illustrator も Photoshop も Office もある。毎日使う ブラウザや家計簿ソフトは即移行できるし、メールも過去に送受信したデータの引き継ぎを考えなかったら移行できる。いや、今の Mail.app なら mbox 対応で移行できるかも?
あと、ホームページ更新に使う Adobe GoLive と、まともなモニタさえ揃えれば、メイン環境を窓に移そうと思えばできなくもない。
Illustrator を Inspironで立ち上げてマウスで使ったら、違和感なし。iTunes と iPod はそのまま窓に持って行けるし。

現実的には、今の窓機のフォント表示レベルなら、長時間見るにはツラいから移行したくない。でも、これが vista で改善されれば・・・?
こんなことを考えてしまうのは、やっぱり Mac と Winの差が縮まったから?

靖國参拝判決

2005年09月30日、「首相の靖國参拝は違憲」と大阪高裁判決。いやもう、気違いとしか思えない判決。ここが一番冷静な反応?

落下傘候補

自分が住んでる地域と密接な利害関係がある人間を国政に送り出すことに、どうしてためらうのか不思議。高尚な人がむずかしい外交や改革をやってくれればいいと思うから?自分が住んでる地域を捨ててることに何故気がつかない?

フジの25時間テレビ

2005年放送分は、堀江への文句を訴えるだけの、旧来体質にしがみつくこと丸出しのくっだらない内容。細木と対談した堀江とバラエティ部分以外、ヤラせと感動のお仕着せばかり。せめて、マラソンしてきたアナウンサーを廊下で岡村が“やべっち寿司”に呼び止めて、「時間ツブすのも大変でっしゃろー」と生放送してたら、見方もかわったかもしれない。

警官発砲

札幌でヤク中の男が市内を逃げ回り、市民に危険が及びそうになって発砲したら、犯人を貫通した銃弾が通行人にあたって怪我をした、というニュースがありました。ニュースを伝えたあらゆるテレビ局の原稿読み人は「警官の発砲は正しかったのでしょうか?」と苦言を呈するばかり。警官が発砲したから怪我で済んだのに、アタマ湧いとんのか?

ロンドンでテロ

「この事件を、遠い国のことと思ってはいけません。日本でも心構えをしないと」とみなさんおっさる。飛行機でも十時間以上かかるほど遠くて、アラブ人の人口比率もまるで違う国の惨劇を教訓にしろと言われても無理だって。

珍舞会終了

年々、さびれていく石狩珍舞会が今年も終わった。この流れにそって、イベントの早期打切りを。

中国が弁償

デモで壊された建物を弁償するらしい。県や市が補償して、日本との関係修復につとめる…だと。国は謝罪すらしないのに?
・・・いーかげんアタマに来た。フザけんなよチャンコロ!!

中国で反日デモ

デモするのは勝手だけど、大使館の安全すら確保できない国てナニ?もう、国家と呼べません。前回は民族寄せ集めマル共強制統治体と書いたけど、ここまでくるとテロ集団。そんな連中が五輪を開催するんですよ…怖ぇー。
こうしてみると、アジア地域は後進国が多いと思う。「スポーツと政治は別」とか言っておきながら、審判の判断に国レベルで抗議するならず者国家とか、実行支配してる島に他国の一県が領有宣告(これも頭のイカれた話だけど)しただけで抗議したり、わざわざ他国の教科書にまで文句付けたり。
だいたい、天安門事件に戦車を出動してまで押さえ込んだ国が、領事館や関係者への投石・暴行を防げないハズがない。どう見たって国家=共産党が後ろ盾してるから、やっぱりテロ集団だな。

歯についた うがい薬の色2

2005年04月10日の日記にも書いた“デンタルエステ”。処置後の写真も撮影。ようするに歯を削ったので、舌でさわってもツルツル。

歯についた うがい薬の色

2005年03月15日の日記に書いたネタの歯の写真を撮った。自分の日記だから遠慮することはないけど、さすがにトップページに置くのは自主規制。
ちなみに、写真でもかなり“色が落ちた”状態。初めて気付いたときは、もっとひどかった。うがいのし過ぎ?それとも食べ物と化学反応したとか?

ライブドア vs ニッポン放送 or フジテレビ

機会ある度に「公共」の電波を担ってることを主張する「民放」各社は、それ自体が矛盾してることに気が付いてるんじゃろか?
民放は、一つの会社がスポンサーや株主の意向に基づいて大多数の人間に向けて、その会社の情報を発信する組織。だから社長が堀江に変わっても本質的には一緒。そんなわけで、オイラはこの件の成り行きには興味がない。

IBMが中国にPC事業売却

もう最低。なんであんな後進国に。中国に偏見持ち過ぎ?いやー、この程度の認識でぢうぶんな国(というより民族寄せ集めマル共強制統治体)だべ。

平成の市町村大合併

基本的には推進派です。地域のアイデンテテ〜と言っても、80年ほど経てば執着を持つ人がどれほどいることか。

それとは別に、県名は江戸時代のままのほうが良かったと思う。何より、日本史が理解しやすい(笑)。ただ、信州県にしようと言い出した知事は勘違い。信州はおおざっぱな地域名。関西なら畿内が相当するかも?
馴染みやすい地名はこちら(http://www.bakusin.com/haihan.html)。明治政府が定めた新県名は東京から離れるほどひどい。北陸三県や東北六県、九州なんて旧地名のほうがずっと観光誘致もしやすかったと思う。
徳川が嫌で強引に県名を変えるあたり、薩摩&長州のイナカもんの発想じゃの。

靖國神社神拝

なんで日本の国を守るために斃れた人達を祀った神社を、国の元首が公的な立場で神拝することを、よその国にとやかく言われなきゃならんのじゃろ?しかも、その国民が元首参拝を裁判所に提訴し、その裁判官が微妙な判断をする国て…。こーゆー連中を本当の非国民というんだろな。
だいたい、我が国の英霊とヒトラーを一緒にするなっての。

プロ野球スト

野球選手になぜ「労使交渉」する資格があり「団体交渉権」が認められるのか、さっぱり理解できません。実業団と違い、会社の仕事はまったくしないし、採用も別枠だし年棒さえ代理人が交渉可能。こんな方々を労働者と呼ぶこと自体が間違い。会社にとって野球は「広告宣伝費」だから、本業が苦しいから経費を圧縮するのは当然の企業努力であって、世論がとやかく言う問題じゃない。「選手ごときが」と言ったオーナーも、人間性は疑われるとしても間違ったことは言ってないワケで。
今のプロ野球が企業の理屈で動いてることが問題と言われてることも、どのみちカネの問題になるから、結局は同じ。
それと、2リーグ12球団は大杉。関西2チーム、名古屋1チーム、関東3チーム、他2チームの1リーグ8チームでぢうぶんでないの。野球選手でない“労働者”には、交渉すらできずにリストラされた方が何人いらっしゃることか。
もし、自分の勤めてる会社がプロ球団を持っていて、選手が今回の件で社長と話するというなら、まず「こっちのふつうの組合と話つけてからにしてくれ」と申し入れるだろな。フザけるなよ>野球選手&高等裁判官

道州制モデル地区

北海道が指定されて、法整備してる様子。北海道には「北海道と開発庁」という重複した行政機関があるし、地理的にも独立してるから道州制を試行したいのは分かる。ただ、北海道の人は二言目には「本州でも通用する」とか「東京の意向は」と言い出す(ことが多い)から、中央に依存する体質が強いと言えます。「道州制モデル地区」には「東京がナンボのもんじゃい」と思ってる地域じゃないと、不向きと思われ。

派遣される隊員の周囲で反対デモする連中

決定権の無い人達の周りで反対デモしてる連中は、意味を自覚してるんだろか?たとえば会社員が仕事してる横で「企業活動はんたーい」なんて叫ばれたら仕事する気も失せるし、「それなら社長に言ってくれ」が関の山。だから、同じやるなら首相官邸前でやれっての。わざわざ隊員方の前でデモするのは、バブル期に立ち退きを迫ったヤクザと同じ、ただの威力業務妨害。いや、ヤクザだと圧力かける相手が当事者だから、まだマシだな。
だいたいデモする連中の目的ってナニ?自衛隊員が「行くのやーめた」とか言って兵舎に帰り出したら満足するんかな?

派遣隊員の家族

テレビのインタビューで「雰囲気で派遣を拒否できないらしいんですよ。でも、隊員にも人権てあると思うんですよねぇ」と言ってた家族がいました。誰か、このアフォに人権のイミを教えたってくれ(;´_`;)

自衛隊派遣

派遣そのものの是非はともかく。派遣されることが決まれば「無事の帰還を祈りつつ、勇ましく送り出す」ことがなぜ出来ないかね。自国の軍隊が海外へ出かけるときに抗議やデモするなんて、どこの国に住んでるつもりなんかね。別に侵略に行く訳でもないのに。
あと、個人的に反対するならともかく、派兵に反対しておきながら雪祭りは手伝えなんて、誰が手伝うかっての>札幌サヨク市長

幸せ

「ふと、自分はもう旅人じゃない、ここに住んでいるんだって実感するんです。それが今の幸せかな」 羨ましい…SEEDS 2002.10.16号より。

拉致

「25年もいると、相手側にも都合がある」だの、「顔も見たことないのにどうやって会いにいけばいいの。会いに来て」とか、ネムいこと言うんじゃない。本筋でいえば、自衛隊が行って家族ごと「救出」するべき話なのに。

少し気の毒

道外ライダー&ツーリストが多い季節、彼らが携帯をいじってる姿を公園やコンビニの前で見ます。話をしているわけでなく、メールかコンテンツをいじってる様子。こんな遠い場所まで旅行に来たのに、一人になれないってのは気の毒。

フロでの場所取り

もちろん、銭湯とか温泉の話ね。コレって男性より女性のほうが多い気がするし、さらにいうと東日本の文化だと思うのよ。たとえば、JRの横浜線に乗ってたときの話→車両から降りるヒトが扉近くに立ってた学生に「あんたジャマだよ」と言い捨てながらホームへ降りていったのにはビックリした。学生は、床に座り込んでたワケでなく、あさっての方向を向いて立ってただけ。確かにジャマかもしれんけど、あれを関西で言ったらタダじゃすまんわな。

鈴木宗男逮捕と国会議員

困ったなぁ…本州のカネを北海道に回してくれるオッサンがいなくなってしまう。せめて道東自動車道を釧路まで開通させてから捕まってほしかった(笑)。ちなみに、国会議員は地元に利益を運んでこなくていい、なんて意見には首をかしげてしまいます。ワタシャ、地元と繋がってないような得体の知れない人間に、国政を仕切ってほしくありません。地元にも利益を引っ張ってこれないような人が、世界から日本に利益を導いてこられるハズがありません。自国への利益誘導ができて自国の生活がきちんと成り立たないと、周りへの思いやりとか支援、ボランティアもできんわさ。自国の富を貧困国へ回すような、原始共産的な仕組みは勘弁願いたい。

誤審

今回のW杯でも誤審・買収らしきケースがたくさん見られた。たぶん「アリアリ」の話だろうけど、場合によっては日本に有利な判断がある場合もあるから、長い目で見ると損得はトントンになると思うのだ。

赤信号

赤信号で渡らないことが大切ではなくて、青 or 赤に関係なく“自分”で安全を確認することが大切。自分が安全だと確認すれば、全責任を覚悟のうえ横断歩道を渡ります。「とにかく赤は停まれ」という発想は、逆に「青なら安全」という、自分で安全を確認することを疎かにさせるような気がして。

サッカーワールドカップ2002・日本決勝トーナメント出場

これを、なんで素直に喜べないのかね。サッカーに興味がないとかキライだとか、こだわりがあるってなら話は別だけど。「自分の国のチームが勝つ」ことを、なんで斜に構えて見たがるのかねぇ。また、「サッカーが盛り上がってきたのは最近でしょ」なんて言うヤツもいる。もちろん、野球に比べると歴史は浅いけど、東京五輪で日本がアルゼンチンを破ってベスト8に入って以降サッカーブームが起きたから、38年の積重ねは決して「最近のできごと」じゃなかろう。Jリーグですら、発足してから10年以上経つのに。

よさこい

ウザいです。「W杯が終われば、よさこい」なんてマスコミは騒いでますが、勘弁して。やってる人たちの自己満足は「個人の嗜好」で片づけるとしても、あの「レベルの低いダンス」を見れば分かります。全然美しくないもの。カネとか騒音の問題なんてもってのほか。
よさこいを「珍舞」と呼んで、踊る団体を「珍舞団」、6月のイベントを「珍舞祭」と呼んでいる方々がいます。オイラは暴走族を「珍走団」と呼ぼうという運動と同じく、ヨサを「珍舞」と呼んで、イベント自体が開催されなくなることを強く希望します。

日本総領事館に中国武装警官が侵入

国家としての威厳や尊厳がまる潰れ。あの時点で身体張ってでも、中国人を追い出さんと。

読みやすい日本語

New iMacの全面広告を見てると、日本語で使うフォントの美しさと、適切な字間の読みやすさというものを実感させられます。日本語に限らず、文字は等間隔に並べても決して読みやすくありません。もちろん字数や字の大きさ、使われる状況に左右されますが、横書きの文字の縦列に、定規で線が引けそうな書類を見るたびにゾッとします。
PCのワープロソフトやラベルライターで印刷・印字された、字間も行間も考慮されてない「日本文字の羅列」を見ると、WindowsやMacなどという前にやるべきことがあるんじゃないかと、いつも思ってしまいます。オイラはその道のプロじゃありませんが、このサイトもせめてイラストレータの自動組み程度の文字組みで表示できればなぁ、と思ってます。

証人喚問やる前にすること

支援問題を、まるで違う切り口で見てる人がいました。終戦直前に旧ロシア軍が南下した際に、漁場・牧場から馬から生活物品まで強奪された人々。そうやって北方領土から引き上げた人達は、国からの補償もなく、戦後を生き抜いて来たワケです。「露助がぜんぶ持って行っちまった」というセリフを吐き捨てる老人の「露助」という言葉は、重い。そんな人が国会での証人喚問を見ても、ちゃんちゃら可笑しいこともまた、重く受け止めるべきで。
ところで、宗男さんは「忘れたと言うことを、明確にしておかなければなりません」とナニ言ってんだか分からない状態なんで、辞職してもらったほうがいいけどそれより、仕事をしなかった田中眞紀子と、仕事をしない小泉純一郎が責任を問われないのが不思議。仕事をしなかったから結果も出てないんだけど、無策の責任追及はしてほしい。コトの善悪はともかく、宗男さんも「仕事した結果」を叩かれてるのにね。

近畿全域を統合する道州制

以下、京都新聞の2002年3月6日(水)の記事をコピペ。
「磯村隆文大阪市長は六日、市議会の答弁で、大阪府との合併構想について「垂直合併には賛成できない。より広域的な道州制導入の方向で議論すべきだ」と述べ、京都や神戸などを含む近畿全域を統合する道州制が望ましいとの考えを示した。関西経済同友会は先月、関西経済復権のため、府市統合による行政の効率化が必要だとして「大阪州」の設立を提言。提言書の提出を受けた大阪府も前向きな姿勢をみせていた。磯村市長は「首長や議会の単純な一本化は憲法に抵触する恐れがあり、地方分権の流れにも逆行している」と述べた。」
北海道に住むとよく分かるけど、生活圏としてまとまっている地域を道州としてまとめるのは、いいことだと思う。このページの最初に書いた「大阪再生」の、有効な手段のひとつになるんじゃないかな。市の枠はともかく「近畿州」でまとめた方がいいでよ。

感動した!

イッセー尾形のインスタントコーヒーのCF、大好き。改革派気取りだけど、何もしてないヒトを痛烈に批判してるもんな。あのCFが流れるくらいなら、日本も健全。

ソルトレーク五輪

  • 五輪の審判って、いまだに西側優先・その次に連合戦勝国側優先てのがまかり通るのねん。がんばれニッポン。
  • 公務員が海外に出かけるとき

    “海外渡航許可証”てのが必要らしい。国家公務員と地方公務員とで違いがあるのか知らないけど。それよりも、北方領土にビザ無し渡航するときに「必要か要らないか」でモメたらしい(^_^;)

    田中眞紀子と鈴木宗男

    あまり書きたくなかったけど、片っぽは地元だし、避けられないネタだからね。
    結論からいえば、どちらもキラい。両成敗になってすっきり。だって、どちらも“品がない”人たちだもの。でも、田中眞紀子が外相を辞めたので、何もしない小泉内閣も少しは支持率が上がるかと思ったのに、急降下したのには驚いた。だって、およそ非生産的なことにしかエネルギーを注がなかった人が、日本の外交の顔でいること自体、日本国民として恥ずかしかったから。辞めてもらって正解。しかも、議員辞職もせずにのうのうと暮らしてるし。

    セルフ式のガソリンスタンド

    別に小難しい話じゃないけど、初めて給油してみました。以前にTVのニュースでセルフ式を紹介してたときに「入れ方が分からない人や、どこに給油口があるのか分からない人はどうすればよいのでしょうか。」つまり「そんな人達もいるから、コスト削減だけでセルフ化を進めるのはどうか」という意見でした。
    んなモン、給油口がどこにあるのか分からないのにクルマに乗るほうが間違っとるわい。アメリカでもセルフ式の定着に数十年かかったらしい?それなら、日本だとスグじゃん。でも学生のバイト以来、久しぶりに給油したけど冬に外でノズルを持つのはさみぃわ(^^;)

    アフガン支援会議、初年度支援20億ドル程度

    なんでアメリカの尻ぬぐいを世界がしなきゃならんのだ?なんで日本が会場になるの?あの警備費用をなんで日本国民が負担しなけりゃいけないの?全然関係ないのに…出費だけ。納得いかない。それともこれが世界貢献なの?

    都会と田舎の違い

    難しくて、ライフテーマになりそう(^_^;) ま、ハッキリしてることをいくつか。

    田舎:クルマのウィンカーを出すのが遅い。
       車線変更のときにウィンカーを出さない。
       街頭放送を垂れ流す。

    都会:国会議員はともかく、地元自治体の議員や首長を知らない or 興味がない(おかげで、市町村合併がスムーズにいく)。大規模・特殊な公共施設がある。

    なかなか「都会的」なのは思い当たらない。夜中でも人がたくさんいる?クルマより電車のほうが早く移動できる?店がたくさん? これだと「モノがあるかないか」だけなんだよね。確かに田舎には「ない」ものだけど、それが「あることで」都会になるとは思えなくて。

    永六輔が、地方に行って出迎えを受けるとき、「よくぞこんな遠方まで」と言われると気になるらしい。交通機関が発達して、国内なら朝に東京を出て、夕方に着けない場所はほとんどないのに、その地域に住んでる人は何十年も前の時間と同じ感覚で出迎えてくれる・・・そのことに違和感を覚えるとか。本来人間が持ってる距離感とか、長時間の移動で疲れてしまう感覚が希薄になってきてることを憂う…が永六輔の言い分。

    また、国内ならどこに行っても同じ、とも言ってたけど同感。大阪から釧路に引越した話をすると、本州の人はみな「生活パターンがまるっきり変わるでしょ」という。確かに変わる要素もあるけど、実感はほとんどない。ウェブもメールもあるから、釧路でも大阪でも得られる情報量に変わりはない。だからそんなに「のんびり」と暮らせるワケではないのだ。職業や生活志向を選べば多少は「のんびり」暮らせるかも知れないけど、そうばかりもいかない。買い物に出かければ、そのお店や流通商品が動くスピードは本州と変わらないのだ。それでもまだ、北海道は物理的な距離がまだ残っている。高速道路がないおかげで「時間稼ぎ」ができる。
    たとえば、今イラストレータの10を通販で頼んでる。市内の店で売り切れだったからだけど、これが都会なら、まず「売り切れ」の店がない。その日のうちに買うことができるから、「時間」がかからない。釧路で取り寄せてもらうとしても、ちょっと前ならお店に行ったり電話で申込む「手間」が必要だった。だけど、今は家のパソコンから注文できて、待っていれば数日でモノは届く。確実に生活サイクルは短くなってきている。今ならむしろ「届くまでの数日」という「時間」がかかってしまうことを、幸せに思うべきなのかもしれない。一方都会でも、その日のうちに購入できる範囲てのは意外と限られる。フラッと出かける気になるのは、地下鉄でせいぜい2〜3駅程度。それ以上離れると、1時間以上かかろうとそんなに差がないのが実際の感覚じゃなかろうか。「本当の都心部」と「それ以外の地域」との格差は大きいけど、「それ以外の地域」てのはほとんど差がない。もちろん、歩いてる人のカッコや屋外広告、都心への通勤者の住宅地域や人口密集具合など、大阪近郊と釧路では大きく異なるファクタも少なくない。それでも、「のんびりした」生活リズムなんてのが感じられることが少ない…のが引越2年目の感想。

    それと、FM放送のレベル差は大阪と地方の格差は大きい。東京もおしゃれな放送はあるけど大阪の味には及ばない。なんでも均一化されて地方を実感することが少ない昨今、これだけ格差の大きいのもめずらしい。北海道まで来なくても、一歩大阪市内近郊を離れると、近江高島あたりでやってる有線放送レベルがゴロゴロあります。FM東京系列の、聴いてるだけで背中がイーッとなる放送が、中の上くらいになるから。NHK-FMのほうが遥かにマシな時間帯・地域もあるくらい。

    1936年の時事新報写真ニュース 江差で59枚を発見

    というニュースがあった。もうそろそろ、この手の写真が撮られた背景や人物を、取材もしないでキャプションを付けるのをやめよう。冷静に考えてみよう、発見された59枚のうち芸能・スポーツ関係の写真も多いのに、なぜこの写真だけが紹介されているのか。そしてこの1枚だけから「暗い時代への足音が聞こえるようだ」という感想(あくまで感想)が堂々と一般紙に載るのか。

    「もし世界が1000人の村だとしたら」

    最近よく聞く話なので、調べてみた。出所も数字の根拠もいい加減みたいだし、仮に数字が正しくても無意味。理由は単純で、たとえば「…人は車を持ってる」とか「…人は大学教育を受けている」という話の場合だと、いったい1,000人で車を作れるのか?1,000人の中で大学の教授から経理の人まで担当できるか?ということである。「そんな話じゃない」と思うかもしれないが、この話より先に「アジア人は〜人、〜人は英語を話す」といった単純な数字の比較が出てくる。これは世界の人口を単純に割ったもの(実数とはズレがあるらしいが)。いっぽう、クルマとか大学は人間の社会活動の成果。つまり「単純な数」と「社会活動の成果」を同列で論じるから無意味なのだ。ところが話の繋げ方が巧妙なので、つい「こんなふうに考えたら、相互受け入れ・理解・教育が必要だ。」とか「軍隊なんか要らない」と思ってしまう間違いを起こす。あらためて言うことでもないけど、世界は何十億人で回っているのだ。相互受け入れ・理解・教育は大切だが、すべての軸足をそこに置いて考えたら、とんでもない結論が導き出される危険は、言うまでもない。
    「世界が1000人の村」がたとえ話だとしたら、テロリストや犯罪者は数が少ないから「1人」としてカウントされないことも、お忘れなく。

    交通事故を減らすために

    クルマに乗る回数を減らしたり、免許交付条件を厳しくしようという人がいる。さらに、クルマの運転は「プロ」にしかさせないのがいい、という人もいる。北海道は交通事故の被害者数がトップだが、道民一人あたりの一日の平均走行距離が全国でも長いのがその論拠だ。長距離を乗るから事故も増えるから、乗る人&距離を減らそうというワケだ。反論は簡単。まず、クルマが人の移動手段のメインになっている北海道なら、まず代替えの輸送機関が必要。免許の取得を制限するのもおかしな発想で、免許をとれば、クルマを運転する側から見た危険を予知できるようになるから、歩道が細いからと車道を歩いたり、歩道が広くても車道を走る自転車は危険ということが理解できるようになる。またクルマは運転者にリスクと負担を強いてることも、分かるようになる。
    それが分からないヤツが事故を起こすだろうって?そんなヤツらは、たとえ江戸時代でも馬に乗って事故を起こすだろう。それと、物流と人の移動をなくすと、人間活動を制限してしまう。交通事故は過失によって起きているのがほとんど。つまり、事故を起こしたくて起こす人はまずいない。かといって物流や交通を止めるわけにいかないから、人間の数倍の重量物や人間同士が高速移動中に衝突しても被害のない交通手段が開発されない限り、交通事故はなくならない。「セキュリティ機能付き どこでもドア」が解決策かも…真面目な話。

    チクリの文化

    ラジオで、とあるアーチストが「順番待ちをしてるのに、何食わぬ顔で割り込みをするヤツに殺意を感じる」と言ってた。また別の番組だがテレビで「決められた時間は進入禁止になる道路に立って、進入してくる車両に注意するおじさん」というのをやってた。どっちもアホだ。抜かされるほどボーっとしてるヤツが悪いし、真昼間から仕事でもないのに道につっ立てるオッサンにはつき合ってられない。

    新ゴーマニズム宣言 戦争論2 購入

    分厚い本で、嫁さんに「コロコロコミック?」と言われてしまったほど(笑)。内容は前作と変わらないけど、冒頭から米テロを取り上げるなど、話の展開は上手。すべての内容に諸手を挙げて賛同できないけど、強調しておきたい箇所はここにも書かせてもらおう。それは「平和とは、秩序が維持されている状態である」ということ。国内は警察、国外へは軍隊という2つの武力装置で治安が維持されてるワケで、自国が戦争しなければ平和になるのではなく、武力を放棄してしまえば「平和」も守れない。決して戦争を美化するつもりはないけど、イマジンを歌うしかない人は、それ以上のことができないこともまた事実。

    リンク

    よくウェブサイトに書いてある注意書き:「このページにリンクする場合は、事前に許可を得て下さい。」…イヤなら最初からアップするなちゅーねん。ネチケットやマナー、モラルの問題だって?…なんでも「自己責任」が問われる時代なのに?「このサイトにハックする場合、事前に許可を得て下さい」と書くのと一緒だべ。

    故郷と違うところに生活する

    関西から釧路に引っ越して半年経過。引っ越す前には新しい土地に住み着いて、故郷を乗り換えるくらいの覚悟が要ると思ってた。ところが、いまごろ気が付いたんだけど、育った環境てのは誰にも変えることが出来ないんだわ。故郷を乗り換えるなんて大層なことは考えずに、出稼ぎ&観光に来たんだと思うことにしたら、気が楽になった。…あ、それしかしてないか(^^ゞ

    自衛隊

    例によって派遣が取り沙汰されてマス。個人的には、なんで日本が戦闘支援をするのか分からんけど。でも、自衛隊の論議をするなら、少なくとも地元にはどんな部隊がいるのか把握しておきましょう。陸自の北部方面隊は道内に4師団あって帯広・釧路は第5師団。海上自衛隊は八戸航空基地(青森県八戸市)。航空自衛隊は三沢の北部区航空方面隊。さ、主権国家の憲法のヘンな部分は訂正して、はっきりと軍隊にしちゃいましょう。

    報復という戦争

    羨ましいのは、600億ドルの緊急予算を可決できる底力と、星条旗や国歌で報復攻撃を全国民とも言える意思で表示しかつ実行できる国家、国民と軍事力だな。今回の事件を、数人のテロ vs ひとつの国家 と考えると話がややこしくなる。「戦争は外交手段のひとつである」とは小林よしのり氏の言葉だが、これは当然のこと。この前提を考えずに、戦争は絶対してはいけない…な〜んて言ってると米国が「これは戦争だ」というのが理解できなくなってしまう。米国はイスラム主義国家との協議が決裂したから武力で交渉しよう、ちょうどいいキッカケができたし、というのが今回の趣旨だ。自分も勘違いしていたが、テロ行為に報復するのも目的のひとつかも知れないけれど、仮にも一つの国家が一人のオッサンとグループ仲間にケンカを売るワケがないのだ。米国は今回の攻撃相手についても、「ウサマを支持する国家」とハッキリ言ってるでないの。

    さて、自国の上空に他国のロケットを飛ばされても平然としてる国が、積極的に今回の戦争支持を表明するには、相当の覚悟がないとできない筈なのだけれど。

    とここまで書いたけれど、その後自分の考え方がまとめられない。米国 vs テロリスト の構図だけで考えると、今回の事件で亡くなった同邦に申し訳ない。かといって自分の国にも関係ある問題なんだと認識しづらいこともまた確か。とりあえず「武力行使絶対反対」とか「粘り強い交渉しか問題解決に繋がらない」とかいう、極左派やそれ以下のヒステリックで非現実的な意見(というより感想だな)が増えて来てることには辟易してるけれど。

    米国多発テロ

    コトの真相は分からない、ことを大前提として。

    自分たちが普段なにげなく過ごしている世界にも、命を掛けてまで反駁する人も居るということを改めて認識させられた。あの凄惨な光景を見て心の底から喜ぶ人や、おそらく自爆したパイロットを英雄として称える「精神異常ではなく別の価値観を持った一般の」人たちが、世界のどこかにいるわけだ。アメリカは自国の価値観への挑戦を受けたワケだから「報復」するのは至極当然のことだが、日本がいま属している“アメリカ支配の社会や価値観”は、決して唯一無二の正義・自由ではないことが改めて証明されたといえる。世界統一の価値観てのはあり得ないけれど、米国とは一線を画す国策を考えるべき。

    教科書問題

    だいたい、教科書を国が検定するから問題になる。自分の国の教育くらい、自国で書いたモノを自由に使えばよろしい。それを外国にとやかく言われるなんて、もってのほかだ。我々の先祖・先輩は決して鬼畜生ではない。相手国の偏向的な教育にこそ抗議すべきだ。内容が誤っているのなら訂正すべきだが、訂正箇所もないから、今回の修正拒否は至極当然のこと。日本という国家の国民の尊厳をかけて、守らなければならないこと、譲れないことがある。ファシズム、ナショナリズムといった話は、そのまた次のレベル。

    北方四島

    場所柄、北方4島関係のニュースをよく聞きます。ロシアが韓国漁船に北方海域で漁船の操業を許可して、やってきた韓国船に保安庁の船が「やめてくれ」と手紙を渡したらしい。韓国船は「実行支配してない国に文句を言われる筋合いはない」とシカト。そりゃそーだ。戦争に勝ってロシアが「領有」した土地だから、間違いなくロシアの土地です。戦争は「正当な」外交手段のひとつだから、戦勝国が「戦利品」として領有地をゲットするのも当然のハナシ。だから北方「領土」なんて言葉は間違いで、「昔は日本が持ってたけど、今はロシアの土地。国際法に従って領海権もある」のが正解。で、今から戦争して四島を取り返すのは現実的でないから、カネで買い戻せばよいのであります。ロシアが混乱してて、日本がバブルのときがチャンスだったけれど、今なら難しいだろうなぁ。

    大阪の再生

    2001年の春に関西を離れて北海道へ引っ越すが、これを機会に関西・大阪について考えてみた。2001年1月4日から読売新聞大阪版に『元気だせ関西』という新世紀提言が連載された。地盤沈下が著しいといわれる関西に再生を目指す提案だ。記事にあるとおり、「昨年(2000年)ほど関西経済の再生を目指す提言が相次いだことはなかった。関西経済の現状についての認識も大差がない。」と思う。実際、自分も関西圏や日本全体の地盤沈下は感じていた。

    さて、前述の『元気出せ関西』では関西の現状を「リーディング産業がなくサービス化にも後れを取った」「繊維をはじめ近畿に集積した業績は開業率が低く、情報サービスなど集積が低い業種は開業率が高い」「企業の意思決定・中枢管理機能が大阪府外へ流出した」「関西にいる人、他から来る人が関西において夢や楽しさを見いだすにはほど遠い状況である」と認識している。そして「絶対的衰退」が懸念されるほど状況が危機的であることを反映した文言が多くの提案に並んでいる、と紹介している。

    まず現状認識については自分も異論がない。そして「絶対的衰退」の懸念も、残念ながら異論がない。自分が3月まで在社した会社の本社が東京にあり、その業界の情報・販売・その他すべてが関東シフトだったせいもあるが、関西は東京からみれば「いくつかあるうちの、1つの消費地域」でしかない。関西はすでに1つの「地方」に過ぎないことを明確に認識しなければいけないのに、関西の大勢はまだ、日本のGDPの数%を担う都市機能をもった地域だと思っていることが問題なのである。

    インターネットやメールの普及などを挙げて、「これからは地方の時代だ」という意見もあるかもしれない。自分は逆に、こういったインフラ整備は東京集中を促すものでしかないと思っている。たとえばインフラ整備は、その規模が全国化すればするほど、都心でない1つの地域で判断・整備できることではなくなる。別に東京でやらなくてもいいけど、全国レベルのインフラ整備をするなら、首都=東京でやった方が話ははやい。また情報を閲覧するための道具も、都市圏の技術者が企画・設計してから全国へ供給するもの。インフラ整備だけでなく、コンテンツが大事ともよく言われるが、都市圏から地方へあるいはその逆の情報発信がやりやすくなっただけ。

    さて、関西が1つの地方に過ぎないと認識したとして、どうするか。劇的な産業構造の転換を待つか、自分でその産業転換を興すか…どちらも時間がかかりそうだ。それなら、今ある資産を活かせばよい。つまり「観光」で、京都が好例。大阪も大阪城から近代文学関係施設まで、観光資産には恵まれているから整備すればいい。水都の象徴である水路を復活させるのも一つの手段。冒頭の読売新聞の提言にも集客・観光産業に成長を期待している。2001年春にオープンするユニバーサル・スタジオ・ジャパンも起爆剤になるだろう。

    話は少しずれるが、このUSJについて少し述べたい。東京ディズニーランドが先行してオープンしており、今度は大阪にUSJができる。どちらも米国産の観光施設という点に注目。東京DLの海外からの観光客はアジア系が多いらしいが、新しいDLをアジアにも建設すれば、どうするのか。あるいはDLやUSJの都合で日本国内の施設を閉鎖することになれば、どうするのか。つまり日本にDLやUSJがあることが大切なのではなく、日本にしかない観光娯楽施設・産業を整備・育成することが必要である。ディズニーランドのケースでいうと、日本はアメリカにとって「1つの消費地域」に過ぎない。記事にもあったが、米国産の施設は大阪USJが最後で十分である。

    さて関西再生に話を戻そう。結論を言ってしまえば、◆東京以外はどこでも地方 ◆関西もすでに地方 ◆地方には観光と限られた地場産業がある、ということになる。乱暴なまとめ方とも思うし、大阪の持つ都市機能を無視した意見であることも承知だ。たとえば「食の文化」はやはり大阪が優れているし、日本語の言語としての先進地区が関西であることは揺るぎようがない。大阪・関西にしかない会社や文化もたくさんある。それでも、関西再生を議論するときには、すでに1つの地方であることを認識してから、議論する必要があることを、強調したい。

    東京讃歌のようになってしまったが、東京近郊在住の方のマイナス負担と、住んでいるだけで得られるプラスの既得権はどちらも、地方よりもはるかに大きい。東京=都心機能のカタマリは国にとって必要だが、そういった都市は各国に1つあればよい。「地方発信」も無理しなくてかまわない。東京でできることは、すべて東京に任せればOK。

    さて蛇足になるが…。東京以外はどこでも地方で、その地方の独自色に魅力をあまり感じなければ、東京圏以外のどこに住んでも大差がないこになる。毎日片道1時間以上を通勤に費やし、同じ国でありながら数倍の家賃を生涯払い続けなければならない。同じ住むなら、基本的な社会資本が豊かな地域に住んだほうがいい。基本的な社会資本とは、自然環境&心理学的でいうところのパーソナルスペースを社会的にも拡大解釈した「個人で持ったり、地域社会で共有できる空間の広さ」と思う。大阪に限らず地方でも都会機能の一部をもった地域はある。ライブハウスや設備の整ったホールに高級ホテル、大きな図書館や最新の医療設備の整った病院、良質な書籍販売店、特殊な商品の取扱店や一部の高等教育機関は都市部にしかないだろう。放送や出版・政治など、都心でしか成立しない仕事も多くある。そういったものに対して自分の中の比重が軽くなれば、都心に住む理由はなくなる。個人がどこに比重を置くかというコトは、生活の都合で選べない場合をのぞいて、嗜好や都合に左右されると言ってよい。いや、生活の都合=仕事や家族も個人が積極的に責任を持って選択していくべき時代である。自己責任や自己判断、自己防衛が重視されるのは言葉としてはキレイだが、ラクじゃない。